渋谷青山通り商店会は、約60年にわたり地域の発展を目指して活動しています。地元の経済を促進し、大小さまざまな業種の地域密着型の事業を応援。住む人、働く人、学ぶ人、訪れる人の手を取り合うコミュニティとして、安心と安全を提供しています。
渋谷青山通り商店会について
青山の発祥は、天正18年、徳川家康が相模大山道の軍事戦略上から、譜代大名青山忠成に武家屋敷を割当てたところから始まります。
嘉永年間(1845 ~ 53 年) ペルー来港の頃に諸大名の下屋敷が存在しており、当地は稲葉長門守(神宮前五丁目、渋谷一丁目、松平左京太夫(渋谷四丁目)、仙石器岐守(渋谷二丁目)の三大名の下屋敷跡地で街道筋の門前町として、江戸時代の武家屋敷があったところから来ています。
「青山通り」は国道 246 の中にあり、起点は三宅坂より終点は渋谷駅となっています。
位置としては渋谷区の東端にあたり、青山学院を境に、港区と接しています。行政区域の変遷は明治初期は、豊玉郡大字青山南町7丁目、青山北町7丁目と単独で形成し、明治11年赤坂区編入され同 22年に渋谷村が成立して、同村に編入されました。
明治42年町制が施行されても、青山南・北7丁目の字名は続き、昭和3年、全町の字名地番が改正されて「上通り1丁目」となりました。
昭和7年 10月渋谷区が制定した後、つい最近昭和45年に完了した住居表示整理事業の過程で歴史ある「青山」が消え現在の町名地番となりました。
由緒ある地で、発展を続けて来ましたが、昭和20年の東京大空襲で焦土と化し、それからの変貌をとげるのは、他地区と同様で、戦後の混乱期から、昭和 25年朝鮮動乱によって、日本経済は急速に成長し、青山通りにも商店が軒を連ねるようになりました。
この頃に、現商店会の前身として「春夏冬会」(あきない会)が発足し、昭和28年に区商連に加盟したが、渋谷駅前の開発が進むに伴い、当地区は衰退し昭和 36 年解散となってしまいました。
昭和39年「東京オリンピック」開催に向けて青山通りが区画整理され、これを機に「渋谷みどり会」が結成され、再び商店会活動がスタートしました。
更に昭和58年、現在の名称に変更して活動も充実、会員相互の親睦も深まってきています。
かつては、都電も走り、今、銀座線、半蔵門線、千代田線の表参道駅を至近に持ち、東京のメインストリートとして発展を続ける青山通りで、ビルが建並び青山学院、こどもの城、国連大学、青山オーバルビル、コスモス青山、NHKなどがあり、国道246号も2年後、大改修される予定でありましたが、東日本大震災で大幅な遅れとなるもようです。
当商店会は近隣商店会と強調しながら、地域に親しまれ、愛される商店会を目指して努力しているところです。
商店会の活動について
地元の経済を含めた発展のために、私たちが目指すこと
- 業種や規模を問わず、地域性に密着した産業、会社、商店を応援
- 住む人・働く人・学ぶ人・訪れる人、多様な人々が手を組みあえる取り組み
- 地域イベントの参画や会員相互の交流
- さまざまな情報発信や情報交換
- 住む人や訪れる人に、等しく安心と安全を
実施計画
- 商店会イベント計画実施
- 地域イベント参加協力
- まちづくり協議会への参加
- 新規会員の加入促進、懇親会・新年会等の開催
- 商店会活動の発信
- 各関係機関からの情報を発信
- 環境美化、エコ活動(地域の清掃活動参加)
- 防災防犯活動(地区防災訓練への参加)
・住む人や訪れる人に等しく安心と安全を
会長あいさつ
このたびは「渋谷青山通り商店会」ホームページにお越しくださり、誠にありがとうございます。
渋谷青山通り商店会は、地域のみなさまに愛され約60年。
先代たちの「人とのつながりを大切にし、ともに助け合い、永続的に活動を続ける精神」を大切にしています。
神宮前5丁目、渋谷1・2・4丁目の青山通り、その近隣で会社や商店を営んでいる方(地域外であっても構いません)、
私たちの活動に賛同してくださる方のご入会をお待ちしております。
渋谷青山通り商店会
会長 吉澤浩一